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2017.10.23 レンタル
火曜日はレンタル旧作50円。

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2017.10.21
つぶやき
歴史への招待 75) 三人の二代目
関ヶ原の戦いは、徳川家康と石田三成の闘いと言われる。
確かに西軍をまとめ上げ関ヶ原を演出したのは三成の卓越した手腕であり、彼の存在を欠くことは出来ないが、三成自身は近江佐和山19万石の中堅大名にすぎない。

関ヶ原の前段となる上杉征伐の一方の当事者、上杉景勝は会津・米沢・庄内・佐渡の120万石、西軍総大将毛利輝元は中国八ヶ国120万石、関ヶ原の西軍主将宇喜多秀家は備前美作57万石。
いずれも三成を遥かにしのぐ大大名であり、西軍の主力と言える面々である。

東軍の将は、言わずと知れた徳川家康、関東七ヶ国255万石の太守。石高だけでなく、その戦歴、諸大名への影響力は、他を圧して秀でている。
家康は、今川家に臣従する一被官的立場から、桶狭間を経て織田信長と同盟自立し、秀吉政権下でも重きを成す。ほぼ一代で250万石の大大名に成り上がった、したたかな戦略家である。

他方の西軍の各将は、景勝、輝元、秀家いずれも偉大な父(輝元は祖父)の後を継ぐ二代目的な大名で、父の名声に比して貧弱な自分の統率力から、父の残した有力家臣を抑えきれず、絶えず難しい舵取りに終始せざるを得なかった。

物語は、越後春日山から始まる。
お館様上杉謙信が急死し、跡目争いが勃発した。謙信の二人の養子、甥の景勝と姪の婿北条氏康七男の景虎。上杉家中を二分する御館(おたて)の乱だ。
北条氏政と武田勝頼の介入を招き、景勝危うしと思われたが、勝頼を利によって誘い、北条を牽制させ、北条氏の本格的介入を阻止し、御館の乱に勝利出来た。
しかし、国人の三割が敵方に走り、三割は日和見、味方の四割も景勝の威に服したわけではない。

方や、備前岡山では、幼くして父直家の遺領を継ぐ秀家と母お福は、あわよくば直家の後を襲いかねない叔父忠家や万石以上の有力家臣多数を抱え、宇喜多の家と秀家の存続を計る。
家中を纏め秀家を保護してくれる人物として、秀吉に狙いを定め、秀吉の猶子となり、全面的に依拠していくことになる。

もう一人の輝元も、祖父元就の遺言から二人の叔父吉川元春、小早川隆景に何事も計らざるを得ず、毛利家の総領とはいいながら何も思い通りにならない。
さらに、大国毛利と言いながらも、有力国人の集合体であり、総領輝元は信長のような絶対君主ではなく、盟主的存在にすぎない。

その後、本能寺の変から秀吉の天下制覇、豊臣家の隆盛の時を迎えたが、朝鮮の役、秀吉の後継ぎ問題から、豊臣家から民心が離れてしまう。
秀吉亡き後の天下人は誰か。
最有力大名、家康が天下人となるのか。豊臣恩顧の大名が秀頼を支え豊臣家が続くのか。
はたまた、戦国の世が再来するのか。

情報伝達の未熟な時代。各大名は家の存続をかけ、その去就を決めなければならなかった。
家康は、目的を天下取り一点に集約し、与党を募り、あの手この手で攻勢を計る。
一方の二代目達は、どう動いたのか。
三人が纏まり、目的を打倒家康に絞り切れれば、家康に充分対抗できたはず。しかし、当事者は歴史の結果を知らない。

家康と三人の二代目は何を考え、歴史はどう動いたのか。



「三人の二代目」(上巻)堺屋太一著 講談社文庫 978406281724
「三人の二代目」(下巻) 978406281725


橋本
2017.10.18 つぶやき
【手作り缶バッジをつくろう】SuperKaBoS新二の宮店
10月21(土)、22(日)の2日間、14時から17時まで
オリジナル缶バッジのワークショップを開催いたします。
ぬりえ用紙にすきな色を塗って手作りの缶バッジを作りましょう。
参加費100円でどなたさまもご参加いただけます。
親子連れから大きいお友達も大歓迎です。
SuperKaBoS新二の宮店入り口にてお待ちしております。
2017.10.11 つぶやき
【おすすめの本】KaBoS宮前平店
「自閉症の僕が跳びはねる理由」 東田直樹著 角川文庫 9784044001506

皆さんは町や電車で奇声を発する自閉症の人を見た時に、どのような行動を取るでしょうか。見て見ぬふりをしますか、それとも気になってじろじろと見てしまいますか、若しくはその両方かもしれません。では、自閉症の人が叫んでいる時に何を思っているか、考えたことはあるでしょうか?その答えがこの本の中にあります。

著者の東田直樹は会話をすることすら難しいほど重度の自閉症者です。しかし、彼は文字盤やパソコンを使って自分の考えを表現することが出来ます。そうして著されたこの本には、健常者には想像もつかない自閉症者の考え方や感じ方が綴られています。

本文の殆どは、よくある質問に対する筆者の答えを記したQ&A方式で進んでいきます。ここでは「なぜ大きな声を出すのか」「なぜじっと出来ないのか」「自閉症についてどう思うか」といった、よくある簡単な質問が挙げられています。それに対する筆者の答えは健常者の考えとは大きく違います。ですが、一部の回答に共感を覚える方もいるかもしれません。また所々に挟まれる、著者の小説などからも自閉症者の持つ孤独と苦労を感じることが出来ます。

著者は自閉症者を文明というものを失った人たちだと述べています。皆様の身の回りにも多くの自閉症者が生活をしています。この本を読んで自閉症者の主張や考えを知ることが出来れば、これから自閉症と出会ったとき、違う見方ができるのではないでしょうか。現在角川文庫から、東田直樹の本が3冊発行されています。当店にもまだ在庫がございますので、ご来店の際は是非お手にとってみて下さい。
2017.10.11 つぶやき
歴史への招待 74) 最低の軍師
その城は臼井城(うすいじょう)と言う。
下総国(千葉県北部)の中部に位置し、陸路は下総道の街道沿いで、水路では印旛沼から霞ケ浦、手賀沼に通じ、水陸共に交通の要の位置にあった。
臼井城城主は、原上総介胤貞(たねさだ)。北条家傘下の国衆(国人、在地領主)である。

永禄八年(1565)十一月、上杉輝虎(謙信)は、逆賊北条を打ち倒し関東を解放するとの義を掲げ、三国峠を越え関東になだれ込んだ。

北条家家臣、松田孫太郎は、配下の兵250を率いて援軍に赴いたが、あまりに少ない援軍に原家からは難色を示され、軍師を帯同しない援軍は不要と受け入れを断られそうになる。
胤貞らは、あわよくば上杉方への寝返りも視野に入れていたのだ。

止む無く、孫太郎は、道中で出会った易者(白井浄三入道)を軍師に仕立て上げ、軍評定に臨んだ。
臼井城は、周囲が平地で防禦にはむかない城で、しかもその軍勢は、近隣からの援軍を含めて二千余。一方の上杉方は、北関東の反北条勢力をを合わせて、その数は優に二、三万。全軍が臼井に向けられないとは言え、敵は少なくとも六、七千は下らないだろう。

誰が見ても不利な戦いとなることは必定。戦の鉄則から言えば、より防禦力の高い、近隣の千葉氏の居城佐倉城に一旦退き、機会をうかがうのが常套手段と言える。
しかし、原家側は、この提案に猛反発する。
策がある訳ではないが、城を捨てて生き延びるより、どんなに絶望的でも城を守ってあくまで臼井の地で戦うと言う。

城などまた取り戻せばよい。生きていればこそであり、死んでしまえば元も子もない。援軍の孫太郎には原家側の心理が理解できない。
原主従の思いを教えてくれたのは、以外にも浄三だった。
浄三は、冬の間の住まいと食い扶持を求めて、孫太郎の話に乗っただけではないのか。つい先ごろも城から逃げ出そうとしていた浄三は、人が変わったように指図を始める。

孫太郎配下の小田原勢を集めて、何を指示するかと思えば、城下を隈なく歩かせる。さらに走らせる。昼も夜も。
城下の村々からは、肥を集め城内に運び込む。意味はわからないが騙されたと思って従うしかない。詐欺師まがいの易者だと思っていた浄三は、いったい何者なのだ。

孫太郎らが、防備を固めている間にも、上杉勢は着々と北関東の制覇を進め、三月初旬。遂に臼井城に押し寄せてきた。
輝虎の懐刀と言われる河田長親率いる七千。城方の意表を突き、防御の集中する城の南を避け、西を流れる手繰川を渡河し、孫太郎ら小田原勢の籠る仲台砦を襲う。

浄三は、次々と奇策を打ち出し、上杉勢をことごとく退ける。
攻防は、十余日に及び、城方は「もしや勝てるかもしれない」と思いだした頃。上杉方には新たな援軍が。輝虎自身が五千の本隊を率いて駆けつけてきた。
関東領主の寄せ集めとは、まったく違う。足軽に至るまで身じろぎ一つせず、恐ろしいまでに静まりかえる山のような一軍だ。
軍神、毘沙門天の生まれ変わりと称する輝虎率いる上杉本隊は、怒涛の洪水のように城壁を乗り越え、数日のうちに本丸を残すのみとなるほど攻め続ける。

浄三の打った最後の一手は、間に合うのか。
上杉との攻防を左右するその一手とは何か?そもそも浄三入道とは何者なのか?


「最低の軍師」箕輪諒著 祥伝社文庫 978439634354


橋本
2017.10.01 つぶやき
歴史への招待 73) 早雲立志伝
三保松原から富嶽を眺める若武者がいる。
葦毛の駿馬に跨り、対蝶(むかいちょう)の透かし紋を散らした紫黒の大紋直垂をまとい、金梨地の鞘に青貝細工を施した飾太刀を佩いている。
一瞥しただけで名のある武家の御曹司とわかる美装だった。

伊勢新九郎盛時(早雲)は、父備中守盛定の名代として、京から駿河に下ってきた。
盛定は、八代将軍足利義政の申次衆であり、駿河守護今川義忠と幕府の取次役を務めてきた。その縁から、盛時の姉が義忠に嫁ぎ嫡男龍王丸をもうけていた。
今川家と伊勢家は、緊密な親戚となり、両家の将来も安泰と思われたのも束の間、義忠は遠江の合戦にて討死してしまった。

突然の不幸に今川家中は動揺し、龍王丸がわずか六歳だったため、家督相続をめぐる内訌となってしまった。
姉の北川殿から助けを求める書状が届いたが、盛定は応仁の乱後の公方の座を巡る争いが続いており、止む無く盛時を名代として駿河に下向させたのだった。

しかし、今川家の内情は思っていた以上に切迫しており、状況は最悪で予断を許さない状態だった。龍王丸の従叔父にあたる小鹿範満(おしかのりみつ)を押すのは、家中だけでなく伊豆の三浦氏、相模の大森氏、さらに伊豆の堀越公方、扇谷上杉家に及び、堀越公方からは執事、犬懸上杉正憲、扇谷上杉家からは家宰太田道灌まで出張って来ている。

武力を背景とし一触即発の荒々しさで始まった評定では、盛時ら龍王丸派は京の意向で押し切ることは出来ず、やむなく折衷案として龍王丸元服までの間、小鹿範満を総領代行とする案を提示する。
この案に以外にも道灌が賛成し、すんなり纏まるかにみえたが、代行とはいえ範満が駿府館にて政を取り仕切るべきとの筋目論で、龍王丸は館を追い出される羽目に。
道灌にまんまとしてやられた盛時。屈辱の中、再起を期す。

あれから十年。
龍王丸が16歳になっても元服を認めようとしない範満を討つ。
十年の間に今川家を巡る環境に変化が生じていた。道灌は主家扇谷上杉定正に暗殺され、堀越公方と執事上杉正憲は不和となって、他からの介入は恐れる必要はない。
さらに今回、盛時は用意周到に、管領細川政元を通じ将軍義尚より龍王丸の駿河守護職就任を認めた御教書、範満らを謀叛人と断定し誅罰を命ずる御内書を得て、さらに伊勢家の軍勢を密かに呼び寄せ駿河館を襲った。

計画は成功し、小鹿範満と上杉正憲を討ち、龍王丸(氏親)を守護職に就けることが出来た。
この功により、盛時は駿河に所領を持つ身となり、また堀越公方足利政知の信任を得たこと、将軍足利義尚、管領細川政元と深く結びついたことは、後の伊豆、関東への足掛かりとなる。

この後、運命の糸に導かれ、京の政界から身を引かざる負えなくなった盛時は駿河に下向し、今川氏親の家臣となり、伊豆の政変に係わらざる負えなくなるのだ。

ただ、この時の盛時は、まだそのことを知らない。

「早雲立志伝」は、伊勢新九郎盛時の前半生。父の名代として駿河に下向してから、今川氏親の家督相続を成し遂げ、伊豆、相模の小田原へ進攻するまでの物語である。
著者自身が、後説の中で明かしている続編、「早雲立国伝」が早雲の後半生にあたり、後北條家の基礎を築いた早雲の全貌が明らかになる。


「早雲立志伝」海道龍一朗著 集英社文庫 978408745626


橋本