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2018/01/11 6:53: 歴史への招待 83) 江戸開城

1868年〜9年(慶応4年から明治2年)の戊辰戦争は、鳥羽・伏見の戦いに始まり、彰義隊の上野戦争、奥羽越列藩同盟の成立と北越・東北戦争、函館五稜郭の戦いまでの、一連の幕府軍・旧幕府軍と官軍の戦いを言う。
慶応4年は明治元年に改元しているので、足かけ2年の戦いであった。

その中で、江戸城の無血開城は、ただ単に官軍が旧幕府軍を圧倒屈服させ、開城させたものではないと言う点で異色であり、また西郷と勝の二人の会見だけで成ったと言うことも奇跡としか言いようがない。

何故なら薩摩・長州らの官軍が、強大な軍事力と最新兵器で、旧幕府軍を圧倒したかに思える戊辰戦争だが、実は一部装備・訓練も行き届いた薩長軍が存在したことは事実としても、数・質に勝る軍事力を備えていたのは、旧幕府軍・徳川家側だったのだ。
鳥羽・伏見の戦いも、初戦で敗退したが、大坂には万を超える備えがあったにもかかわらず、慶喜が朝敵となることを恐れて江戸へ逃げ帰り、負けが確定した。

鳥羽・伏見の敗戦で、大政奉還と、その後の王政復古にも懐疑的で日和見だった西国諸藩は、雪崩をうって官軍側についた。
親藩・譜代・外様の区別なく、箱根以西で徳川方の藩はないと言えるくらいの大変貌だった。
しかし、関東・東北の諸藩は、薩長中心の官軍に従うことを良しとせず、徳川方は、いまだ十分官軍に対抗できる勢力を保っていた。
しかも、海軍力は圧倒的に徳川家側が優勢であった。

朝敵慶喜を討つとの名目で発せられた東征軍と旧幕府軍が全面戦争に至った場合、日本は未曽有の内乱状態となる。
薩長を支援する英国、徳川家を支援する仏国。どちらが勝つにしても国内は疲弊し、欧米列強の介入を招くことになっただろう。

内乱を防ぐことになった「江戸開城」は、戊辰戦争と明治維新の行く末を決定付ける出来事だった。
絶対恭順と徳川家の覇権回復に揺れ動きながらも最終的に恭順を貫いた慶喜も評価されるべきだが、何と言っても、多くの幕臣から裏切り者扱いされながら、当初より内戦回避、絶対恭順を唱え続けた勝海舟と、血の犠牲を求めて止まない討幕派の人々を抑え切り旧幕府軍・徳川家との全面戦争を避けた西郷隆盛は、やはり傑人と言うしかない。


「江戸開城」海音寺潮五郎著 新潮文庫 978410115709


橋本

2018/01/01 9:02: 歴史への招待 82) 天翔ける

「なき数によしやいるとも天翔(あまかけ)り御世を守らむ皇国(すめぐに)のため」
春嶽、享年六十三。辞世の歌である。

春嶽は徳川一門、御三卿田安家に生まれた。
本名は慶永、幼名は錦之丞である。十一代将軍家斉は伯父にあたり、十二代将軍家慶は従兄である。
御三卿の家に生まれた者の務めは、将軍となるかもしれない日に備え、日々勉学に勤しみ、己を鍛えることだった。
毎日、早朝に起きると自分で髪を整え、身支度をし、「大学」「論語」の素読をする。午後からは「手習稽古」などに励む、読書好きな子供だった。

天保九年(1838)春、慶永は将軍家慶の命により、十六代越前福井藩主となった。
十一歳の少年藩主である。
藩主慶永の側近、御用掛となったのは国学者である中根靫負(雪江)だった。
教育係りとして藩主としての責務を厳しく説く靫負の言を入れ、慶永は藩政改革に乗り出していく。
旧守派の家老らを退け、人事の刷新を図り、橋本左内ら人材登用で、改革に成果を上げた慶永は、積極的開国論に藩論を転じ、将軍継嗣問題にも深く係わるようになる。
左内らの尽力にもかかわらず、井伊直弼ら南紀派との政争に敗れた春嶽は、隠居を命じられ、逼塞を余儀なくされるかに思われた。が、
「百折不撓(ふとう)」(何度挫折してもくじけない)

思い直した春嶽は、熊本より横井小楠を招き、更なる改革に邁進する。小楠の指導により藩財政を立て直した春嶽は、政治総裁職として、将軍後見職の一橋慶喜や春嶽とともに四賢侯と言われた土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城らとともに、難しい国政の舵取りに向うことになる。

ペリー来航以来の未曽有の国難に際しても、「私」私利私欲、から逃れられない幕府、諸藩、公家らをしり目に、一人「公」国と民、のための政を貫こうと孤軍奮闘した春嶽。
政治を行うには清廉過ぎた春嶽。春嶽の目指す挙国一致は結局実現せず、薩長中心の討幕勢力により維新が実現する。しかし政界を退いた後も春嶽は国の行く末を案じ続けたようです。
辞世に国を思う気持ちが込められています。


「天翔ける」葉室麟著
KADOKAWA 978404105720

橋本

2017/12/21 5:57: 歴史への招待 81) 鳳雛の夢

伊達正宗、幼名は梵天丸。
伊達家当主輝宗と出羽国主最上義守の娘義姫との間に出来た嫡男である。
五歳の時に患った疱瘡により、顔にあばたが残った。だけでなく疱瘡の毒が右目に入り、右目は失明、しかも腫れによって眼窩から大きくはみ出している。
端正な顔立ちだった梵天丸は、醜く変貌し周囲の人々から疎まれ、最愛の母からも忌避されるようになってしまった。

梵天丸は、醜い顔を隠すように、うつむいたままで目立たず、声も出さないような子となった。
周囲の者には、大人しい、覇気がないと評判は最悪だったが、一人父輝宗だけは、梵天丸を愛し続けてくれた。
病が癒えると、父は禅僧虎哉宗乙(こさいそういつ)を、梵天丸の師として付けてくれた。
宗乙は、梵天丸に憤怒の表情で睨みつける不動明王の仏像を見せ、「不動明王は悪しきを追い払う降魔の仏。内にあるは、衆生を慈しみ守る優しい心」「そなたも伊達の惣領として守る側なのだ」と諭した。
「伊達を守る為に近隣を取る。征服した地の民も伊達の民、その民を守る為に、さらに周囲を併呑する。天下を統一すれば戦はなくなる」天下制覇のために宗乙は厳しく梵天丸を鍛えた。

初陣で城一つ。
元服し藤次郎正宗となった梵天丸は、十六で初陣を迎えた。
宿敵、相馬氏と大内・畠山の連合軍に、父輝宗は伊達の全軍を投じて迎え撃った。
正宗は、別働隊三千を率い、相馬方の金山城を攻めると見せて、別の金津城を攻めた。あわてて救援に赴いた相馬方の陣形の乱れを父の主力軍とともに撃ち、金津城を落とした。
「初陣で城一つ。古来稀なり」と父に絶賛された。

父をわが手で。
若くして当主となった正宗は、近隣を苛烈に攻め立てる。若年の当主と侮られないようにと抵抗する者を撫で斬りする正宗を危惧する輝宗は、畠山義継の降伏を仲介しようとするが、不覚にも質にとられ連れ去られようとする。
国境まで追跡した正宗は、遂に決断し父輝宗もろとも畠山勢を銃撃し、父を死なせてしまう。

惣無事令と宿敵葦名。
その後も、正宗は近隣の畠山、二階堂、葦名などとの攻防は一進一退、奥州制覇は夢のまた夢だったが、天下は大きく動いていた。
秀吉は、毛利、上杉、徳川らを傘下に納め、惣無事令に背いたとして九州を征伐、島津を下した。
焦る正宗は、葦名家重臣猪苗代盛国を調略し、遂に宿敵葦名を滅ぼした。
しかし、秀吉の惣無事令に背くことは明確で、しかも葦名は秀吉に臣従していた。

雌伏の日々
秀吉が北条征伐に20万の大軍を動員するに及び、遂に正宗は決断し秀吉に膝を屈する。
奥州制覇の夢を捨てたわけではないが、如何せん、天下の定まるのが早すぎた。
しかし、葦名の旧領会津は召し上げられるが、正宗の首はつながった。

その後も、奥州征伐で改易された諸家の旧臣らの一揆を支援したり、ポスト秀吉の関白秀次に接近し、二度死にかけているが、したたかな正宗は窮地を切り抜け、関ヶ原でも奥州制覇に向けた独自の動きをみせる。
風雲児正宗は、生まれてくるのが遅すぎた。しかし戦国の世も終わりを告げた徳川の時代、外様の改易が続く中にも、したたかに伊達家を守り通し、奥州制覇の夢を捨てることはなかった。


「鳳雛の夢」上巻 上田秀人著 光文社時代小説文庫 978433477550
「鳳雛の夢」中巻 978433477551
「鳳雛の夢」下巻 978433477552



橋本