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K-ボイス

歴史への招待 75) 三人の二代目

2017/10/21 6:00:

関ヶ原の戦いは、徳川家康と石田三成の闘いと言われる。
確かに西軍をまとめ上げ関ヶ原を演出したのは三成の卓越した手腕であり、彼の存在を欠くことは出来ないが、三成自身は近江佐和山19万石の中堅大名にすぎない。

関ヶ原の前段となる上杉征伐の一方の当事者、上杉景勝は会津・米沢・庄内・佐渡の120万石、西軍総大将毛利輝元は中国八ヶ国120万石、関ヶ原の西軍主将宇喜多秀家は備前美作57万石。
いずれも三成を遥かにしのぐ大大名であり、西軍の主力と言える面々である。

東軍の将は、言わずと知れた徳川家康、関東七ヶ国255万石の太守。石高だけでなく、その戦歴、諸大名への影響力は、他を圧して秀でている。
家康は、今川家に臣従する一被官的立場から、桶狭間を経て織田信長と同盟自立し、秀吉政権下でも重きを成す。ほぼ一代で250万石の大大名に成り上がった、したたかな戦略家である。

他方の西軍の各将は、景勝、輝元、秀家いずれも偉大な父(輝元は祖父)の後を継ぐ二代目的な大名で、父の名声に比して貧弱な自分の統率力から、父の残した有力家臣を抑えきれず、絶えず難しい舵取りに終始せざるを得なかった。

物語は、越後春日山から始まる。
お館様上杉謙信が急死し、跡目争いが勃発した。謙信の二人の養子、甥の景勝と姪の婿北条氏康七男の景虎。上杉家中を二分する御館(おたて)の乱だ。
北条氏政と武田勝頼の介入を招き、景勝危うしと思われたが、勝頼を利によって誘い、北条を牽制させ、北条氏の本格的介入を阻止し、御館の乱に勝利出来た。
しかし、国人の三割が敵方に走り、三割は日和見、味方の四割も景勝の威に服したわけではない。

方や、備前岡山では、幼くして父直家の遺領を継ぐ秀家と母お福は、あわよくば直家の後を襲いかねない叔父忠家や万石以上の有力家臣多数を抱え、宇喜多の家と秀家の存続を計る。
家中を纏め秀家を保護してくれる人物として、秀吉に狙いを定め、秀吉の猶子となり、全面的に依拠していくことになる。

もう一人の輝元も、祖父元就の遺言から二人の叔父吉川元春、小早川隆景に何事も計らざるを得ず、毛利家の総領とはいいながら何も思い通りにならない。
さらに、大国毛利と言いながらも、有力国人の集合体であり、総領輝元は信長のような絶対君主ではなく、盟主的存在にすぎない。

その後、本能寺の変から秀吉の天下制覇、豊臣家の隆盛の時を迎えたが、朝鮮の役、秀吉の後継ぎ問題から、豊臣家から民心が離れてしまう。
秀吉亡き後の天下人は誰か。
最有力大名、家康が天下人となるのか。豊臣恩顧の大名が秀頼を支え豊臣家が続くのか。
はたまた、戦国の世が再来するのか。

情報伝達の未熟な時代。各大名は家の存続をかけ、その去就を決めなければならなかった。
家康は、目的を天下取り一点に集約し、与党を募り、あの手この手で攻勢を計る。
一方の二代目達は、どう動いたのか。
三人が纏まり、目的を打倒家康に絞り切れれば、家康に充分対抗できたはず。しかし、当事者は歴史の結果を知らない。

家康と三人の二代目は何を考え、歴史はどう動いたのか。



「三人の二代目」(上巻)堺屋太一著 講談社文庫 978406281724
「三人の二代目」(下巻) 978406281725


橋本

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