スマートフォン版を表示

K-ボイス

歴史への招待 77) 利休の闇

2017/11/11 6:01:

足軽大将、藤吉郎二十八歳。
誰もがあっけにとられる大出世だが、当の藤吉郎本人は全く満足などしていない。

「何かが足りない」。自分に足りないものは何かを探し求める藤吉郎が、もしやと思い当たるのが、この頃流行の、茶事だった。
主君信長は、上洛を契機に将軍家、公家らとの付き合いから茶事に身を入れるようになる。
茶事を愛でることは優雅さ、上品さを現し、尊敬を集められる。そんな効能があるようだ。

藤吉郎も喫茶の作法を学ぼうと、織田家出入りの茶人今井宗久や津田宗及に密かに願い出るが、足軽大将ごときに教えられないと断られてしまう。
屈辱と途方に暮れる中、救いの手を差し伸べたのが、同じく織田家出入りの茶人千宗易(後の利休)だった。

初めての茶席は、宗易の弟子を見よう見まねで、つつがなく経験できた。
宗易から感想を求められると、「易しい事をわざとめんどくさく難しくしている茶道に困惑している」と述べたが。
「たかが茶道、されど茶道。すべてが遊びにすぎないが、されど遊びは難しくするほど奥が深く、面白くなる」と返される。
師宗易と弟子秀吉のつながりはこの日から始まった。

弟子入りから十余年。
宗易は、信長の「茶の湯御政道」に欠かせぬ茶頭となり、秀吉も中国方面軍司令官として確固たる地位を固めていた。
その頃の秀吉から宗易への書状の表書きは「宗易公」であり、宗易から秀吉へは「筑州」。師匠と弟子の関係は続いていた。

この関係に変化が訪れるのは、本能寺以降である。
謀叛人明智光秀を討ち、翌年柴田勝家を破ると、織田家で秀吉に対抗できる勢力はなくなる。
紆余曲折するも、家康も臣従し、毛利、上杉もなびくと、九州征伐、北条征伐、奥羽征伐と天下取りへの道を突き進み、瞬く間に秀吉は天下人となってしまった。

天下人となった秀吉と宗易の関係は、秀吉からは「宗易」と呼び捨て、宗易からは「秀吉さま」に変わったが、蜜月と言われる良好な関係は続き、表向きのことは秀長に、内々のことは宗易にとまでいわれるほどの信頼関係を築いていた。

ある時、「宗易の自邸の庭に美しい朝顔が咲き乱れているらしい」そんな噂を聞きつけた秀吉は、宗易の屋敷に密行した。
「ありのままが見たい」から、早朝の電撃訪問に係わらず、前日の深夜にしか知らせなかった。
しかし、秀吉の見た光景は悲惨の一語に尽きた。花もつぼみもすべて刈り取られていた。

さらに不快なことは茶室への入り口が「にじり口」しかなかったことだ。
にじり口は、入る時も、出る時も頭から先に、首から先に出るから無防備状態となり、いやしくも武将の、まして関白である自分の取るべき姿ではない。

ようやく中に入り、顔を挙げると、床に紫の朝顔が一輪生けてあった。
「一点への美の凝縮」意味するところは解るし、効果も絶大だ。しかし、「花は野にあるままに」宗易自身の教えに背くものではないか。

この時生まれた秀吉と利休の亀裂は、その後茶の湯の考え方の違いから決定的なものへと進んでいく。
黄金の茶室に代表される豪華絢爛な茶、北野の大茶会のような一般大衆に広く親しめる茶を是とする秀吉。
対して、詫びさびを追及し、茶道の規則を細かく定める利休。
「たかが茶道、されど茶道。」
退くに退けない二人の対立は、悲しい結末を迎えることになる。


「利休の闇」加藤廣著 文春文庫 978416790938

橋本

つぶやきをもっと見る